91.オバマ大統領スピーチ全文和訳(広島平和公園)

71年前、雲一つない晴れた日、空から死が舞い降り、世界は変わりました。閃光(せんこう)が広がり火柱が街を破壊しました。
これは人類が、自ら破壊する手段を手にすることを示したのです。
なぜ私たちは今、広島に来たのでしょうか。私たちは、恐ろしい力がそう遠くない過去に解き放たれたことを深く考えるためにここにやってきました。
また、死者をいたみ、10万人を超える日本の国民の方々たち、そして、何千人もの朝鮮人の方々たち、12人の米国人捕虜の方々が、ここで命を落としました。

オバマ大統領スピーチ
オバマ大統領スピーチ

その魂が私たちに語りかけています。もっと内側を見て、私たちは一体何者かを振り返るようにと。
そして、どのように今なろうとしているのか語りかけています。
戦争は、広島だけが特別なのではなく、暴力的な紛争が古くから行われています。
石や槍(やり)などが扱われました。これはただ単に狩りのためではなく自分たち人類を殺すために、このような武器が使われてきました。
どの大陸においても、どの歴史においても、あらゆる文明は戦争の歴史に満ちています。
お金を求め、また民族主義から、あるいは宗教的な理由から、戦争は起こってきました。
帝国が台頭し、また衰退しました。そして、人々が奴隷になり、また解放されてきました。
それぞれの歴史に転換点において、罪のない人たちが苦しみました。多くの人達が犠牲になりました。
その犠牲になった人たちの名前は、時が経つと忘れられました。
世界大戦は、広島、長崎で、たいへん残虐的な終わりになりました。
文明は、しかし、素晴らしいアートを出してきました。そして思想家たちは、正義、調和、真実の考えを生み出してきました。
しかし同じところから戦争は出てきました。征服をしたいという思い、そして非常に単純な部族からも出てきました。
つまり、古いパターンが新しい能力によって更に増幅されてきました。
そして誓約がそこには働きませんでした。ほんの数年の間に、6千万人の人たちが亡くなりました。
男性、女性、子供たち、私たちと全く変わるところのない人たちです。
撃たれ、殴られ、連行され、飢えさせられ、また、毒ガスによって亡くなられました。
世界中にはこの戦争を記したところがたくさんあります。
慰霊碑が、いろいろなことを、英雄的な行いなども示しています。
そして、空っぽの収容所などが、そういったことを物語っています。
しかし、このキノコ雲のイメージの中で、私たちは人類の非常に大きな矛盾というものを強く突きつけられます。
そして私たちの考え、また、想像、言語、また道具を作り、そして私たちが自然とは違うということを示すその能力、
そういったものそのものが、やはり、大きな破壊の力を生み出したのでもあります。
物質的な進歩というものがこういったものから目をくらませるのでしょうか
どれだけ容易く私たちは暴力を、より高邁(こうまい)な理由のために正当化してきたでしょうか。
私たちの偉大な宗教は愛や慈しみを説いていますけれども、それが、決して殺人を許容していると主張するような信者の存在から逃れることはない。
国は、たいとうしいろいろな犠牲が生まれますけれども、様々な偉業が行われますが、そういったことが、人類を抑圧する理由に使われてきました。
科学によって私たちは、いろいろなコミュニケーションをしますし、
また、空を飛び病気を治し、科学によって宇宙を理解しようとしますけれど、
そのような科学が非常に効率的な殺人の道具となってしまうことがあります。
しかし現代の社会は、私たちに真実を教えています。
広島は、私達にこの真実を教えています。
技術の進歩が人類の制度と一緒に発展しなければならないということ
この原子力が破裂することによっていろいろな文明が生まれてきて、そして消えていきました。
だからこそ、今、私たちはここに立っているのです。
私たちは広島の真ん中に立ち思いを馳せます。
この原爆が落とされたときに思いを馳せています。
子供たちの苦しみを思い起こします。子供たちが目にしたこと、
そして、声なき叫び声に耳を傾けます。
私たちは全て罪のない人々が殺された、この酷い戦争によって殺されたことを覚えます。
これまでの戦争すべての犠牲者に思いを馳せます。
言葉だけでそのような苦しみに声を与えるのではありません。
しかし私たちには共有の責任があります。
そして歴史を真っ向から見せなくてはなりません
そして尋ねるのです。
我々が一体これから何を違ったふうにやらなくてはいけないのか
そしてそのような苦しみを更に再発させないようにするにはどうしたらいいのかということを自問しなくてはいけません。
いつしか被爆者の声は聞けなくなってきます。
しかし1945年8月6日の苦しみは決して消えるものではありません。
その記憶によりまして私たちは慢心というものと戦わないとなりません。
私たちの道徳的な想像力を掻き立てるものとなります。
そして私たちに変化を促すものとなります。
そしてあの運命の日以来、私たちは希望を与える選択をやってきました。
アメリカ合衆国、そして日本は、同盟を作っただけでなく、友情を育んでまいりました。
そしてそれは本当に戦争をもたらした大変なものであります。
また欧州では、連合を作りました。
そして、商業、また民主主義によって結ばれています。
国、また国民が一つの解放というものを求めています。
そして、様々な制度、条約が出てきました。
戦争を避けるためのものです。
そして誓約をかけ、そしてこうたいさせ、そして核兵器を廃絶させるためへと導くものであります。
それにも関わらず、国家間の攻撃的な行動、また、テロ、腐敗、また残虐性、抑圧、世界中で目にするもの
それは、私たちのやることに終わりはないのだということを示しています。
私たちは、人類が悪をする能力を廃絶することはできないかもしれません。
そして、同盟というのは私たち自分自身を守るための道具というものを持たなくてはなりません。
しかし、核兵器のない世界を希求する勇気を持たなければなりません。
私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれません。
しかし、可能性を追い求めていきたいと思います。
核兵器の保有を減らし、この死の道具が狂信的な人たちに渡らないようにしなくてはなりません。
しかしそれだけでは十分ではありません。
世界には原始的な道具であっても、非常に大きな破壊をもたらすことがあります。
私たちの心を変えなければなりません。
戦争に対する考えを変える必要があります。
紛争を外交手段によって解決するということが必要です。
紛争を終わらせる努力をしなければなりません
平和的な協力をしていくことが重要で、暴力的な競争をするべきではありません。
私たちは破壊をしてはならないのです。
何よりもまして、私たちの互いのつながりを再び認識する必要があります。
同じ人類の一員としてのつながりを再び確認する必要があります。
このつながりこそが人類を独自のものにしているわけです。
私たちは過去に人類の過ちを犯してきましたが、しかしその過去から学ぶことができます。
選択をすることができます。
子供たちに対して、別の道があるのだと語ることができます。
共通の人類、戦争が起こらない世界、残虐性を容易く受け入れない世界を作っていくことができます。
こういった物語は被爆者の方たちが、語ってくださってます。
ある女性は、原爆を投下した飛行機の操縦士を許しました。
本当に憎むべきは戦争そのものであることに気付いたからです。
ある男性は、ここで死亡した米国人の家族と会いました。
その家族の失ったものは、自分自身が失ったものと同じであることに気付いたからです。
わが国は単純な言葉で始まった。
「人類は全て、創造主によって平等につくられ、生きること、自由、そして幸福を希求することを含む、奪うことのできない権利を与えられている」
理想は、自分たちの国内においてさえ、自国の市民の間においてさえ、決して容易ではありません。
しかし誠実であることには、努力に値する。追求すべき理想であり、大陸と海をまたぐ理想だ。
全ての人にとってかけがえのない価値、全ての命が大切であるという主張、私たちは人類という一つの家族の仲間であるという根本的で必要な概念。
私たちはこれら全ての話を伝えなければなりません。
だからこそ、私たちはは広島に来たのです。私たちが愛する人々のことを考えられるように。
朝起きた子供たちの笑顔、食卓越しに、夫婦が優しく触れ合うこと、
両親の温かい抱擁を考えられるように。
私たちがこうしたことを考えるとき71年前にもここで同じように大切な時間があったことを考えることができます。
亡くなった人々は私たちとと同じ人たちです。
普通の人々はこれを理解すると私は思います。
皆、さらなる戦争を望んでいません。
科学は生活をより良いものにすることに集中すべきで、命を奪うものであってはならないと考えています。
各国の選択が、あるいは指導者たちの選択が、この単純な分別を反映すれば、広島の教訓は生かされます。
世界は広島で永久に変わってしまったが、この街の子供たちは平和に日常を過ごしている。
なんと貴重なことであろうか。これは守るに値し、すべての子供たちがそうあるべきです。
これこそが私たちが選択できる未来なのです。
広島と長崎の将来は、核戦争の夜明けとしてでなく、道徳的な目覚めの始まりとして刻まれるのです。

女性の通訳でしたが、頭の回転がすごいと感心しましたが、最後の方は少し焦って、こっちも何がなんだかわけわからなくなりましたので、和訳が間違いがあるかもしれません。


この場面はとても印象に残りました。

平和でありますように
平和でありますように

広島の街を歩いていると、古い家に、たまに貼っているのを見ることがあります。

その他の記事一覧